『謎床: 思考が発酵する編集術』
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(前略)もっと根源的な、ある人にとっての情報の価値はその情報との出会い方にも拠るという経路依存の問題です。
それより問題は、そうやってアクセスした情報、つまり、ほとんど何ら身体的負荷、精神的負荷をかけずにスルスル入手した情報というものを、人は非常に粗雑に扱ってしまう、ということなのです。
(前略)あらゆる情報にアクセスできてしまうがゆえに、すべてが悪い意味で身体知にならないということがおきてしまうんですね。
「わかった」といっても、そこには了解可能性の幅があるので、絶対にピンポイントではないんです。何か液滴の滴のように、じんわり広がっていくことでしか「わかる」ということはありえないはずですよ。にもかかわらず「わかった」と思うときは、たいていそれがピンポイントになっているので、ヤバい。
(前略)そうなると、カテゴリーの成立そのものが専有的に他を排除することによってしか成立しないということになります。(中略)というのも、コンピュータによってなのか消費社会によってなのか、おそらくはその両方でしょうけれども、私たちが好むと好まざるとにかかわらず現在大量にインストールされている知識の中には、かなり片寄りがあるんです。(中略)情報プロパーとして、パラドキシカルなものとか、多矛盾性や二律背反するもの、「それではないもの」というような「余分」が入っていないんですね。それが私たちのインストールを固定化している理由です。「何かでありながら、そうではない」という状態が徹底的に嫌われている。
知能はQ&Aを次々に成立させる能力のことで、わかりやすくいえば「答えがある問題」に強い。知性は「答えがない問題」に向かっていくものです。(中略)たとえば、平和というワードを入れると、「川が濁っていますか?」というQが出てくる。すると川が濁っているか濁っていないかが平和に結びつくのかとこちら側でプロセッシングできるのですが、そういういインテレクチュアルな誘導がない。